1954-12-06 第20回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号
終戦以来今日まで約十年間、大連地区からは、昭和二十二年、二十三年、三十四年と、三回にわたりましてソ連堀司令部の手によつて引揚者は引揚げておりました。家族、子供を含めまして約千名がその後残つたわけでございます。そこで、われわれこの千名は一昨年の十二月二日に、新華日報により、帰国希望者は帰ることができるということを知り、ほとんど全部約九百五十名の人々が帰国申請をしたわけであります。
終戦以来今日まで約十年間、大連地区からは、昭和二十二年、二十三年、三十四年と、三回にわたりましてソ連堀司令部の手によつて引揚者は引揚げておりました。家族、子供を含めまして約千名がその後残つたわけでございます。そこで、われわれこの千名は一昨年の十二月二日に、新華日報により、帰国希望者は帰ることができるということを知り、ほとんど全部約九百五十名の人々が帰国申請をしたわけであります。
それを赤十字その他の三国体の力によつて引揚が促進されたことは、これはもう否定することのできない事実であります。これを然らば国民が求めていないかといえば、国民はもう寝る間も寝ないで、引揚の一日も早からんことを祈り続けて来た。それが紅十字会の好意によつてとにかく引揚ができたというこの事実に対しては、あなたも否定はできないと思う。
よつて政府は、この際、年老いてなお帰らざる子供を待ちわびる父母の涙のかわかざることをお忘れなく、留守家族のわびしい心情に思いを馳せられまして中共地区に残存せられる望郷十年の悲しき人々のあることをお考えになつて、引揚促進に尽す日本赤十字社の切なる要望を率直に受けられ、速かに適切の措置を講ぜられますよう強く要請するものであります。
それなのに急に引揚をやろうということになつたのは、中共側の考え方によつたので、要するに向うの考え方によつて引揚ができたりできなかつたりするので、紅十字を呼ぶこと自体でできるのではない。
○安部キミ子君 局長さんにお尋ねしたいのですけれども、昨年大山さんがソ連へ参られまして、それがきつかけになつて引揚の動機になつたと私どもは理解しておりますが、今のような日本の国交のあり方では正式な交渉もできないし、それからあなたのお話を聞いておりましても、何かしら不安で、もどかしくてしようがないような印象を受けるのです。
これは外国における外国人に対しては、外地においてそれがそれぞれ清算の対象となつて、現地において処理を先ずされるべきものと、従つて引揚者である本邦に還つて来た人は、このような途も開けていないので、その際特にそのような引揚者対策というような魚味も含めまして、特に本邦内に住所を有する人にこれを限定するということにいたしました。
従つて、引揚者といたしましては、これに対し非常な期待を持つておるのでありますが、この運営はどのようになつておるか、月何回開いておるとか、あるいは定例はどうであるとか、簡単にお答えが願いたい。そうして、在外資産の根本問題の解決はいつごろになるでありましようか。
第二封鎖について、三井、三菱、帝国、安田、住友、三和等でありますが、外地、外国に支店を持つておつた銀行関係となるでありましようが、これは、この金融機関再建整備法の改正によつて引揚者たちはどのような恩典を受けるわけでありますか。金額等をひとつ御発表願いたいのであります。
○千田正君 私は曾つて引揚委員会等において、これとは別に引揚問題なんかでそういう問題が多々論議されたことがありますが、今の問題で参考までに私申上げておきますが、考えて頂きたいと思うのは、仮に三カ月で帰つて来たとすると、一カ月七千円として二万一千円、御見舞が一万円行く、三万一千円入る。だから当然五万二千円もらうものとすれば、そこに二万一千円の差が出て来ますね。
政府においては、今回ようやく、おそまきながら、これら引揚者に対する処置をなさろう、これに対する法律も出して行こうということを御決心なさつたわけでありますが、そういたしますと、在外財産報告のためとして省令によつて引揚者に課したこれらの費用については、別途政府は予算を計上して、――たとえば、引揚げるまでの過程においていろいろな悲惨な状況のもとに死んで行つた邦人も多いのであります。
そうしてそのことによつて引揚をしないということだけが、私はこの憲法下においては許されると思う。それを単独の法律で以てその争議権を禁止してしまう、剥奪してしまうということは、これはもう間違つておる、こう私は考える。この点について労働大臣はどうお考えになりますか。
丁度モンスーンの時期におつておりまするので、マニラ湾まで起重機船の重いのを曳航いたします途中でモンスーンに襲われたりなどする場合が極めて考えられるのでありまして、その意味におきましては、大体今年の十月ぐらいまで待ちますとモンスーンの時期が済みますから、それ以後におきましては安全に所要の物件を先方に持つて参りまして、これを使つて引揚をすることができる、こう考えております。
従つて引揚けられた日本船は、日本に属すればけつこうだし、日本に持つて来られると思つて聞いておつたのですが、そこのところをもう一度はつきり答弁願いたい。
政府のいわゆる戦争犠牲者に対する均衡の問題とか、戦時補償打切りの先例があるとか、日本の国力がどうであるとかいうこれらの問題は、すべて政府の逃げ言葉であつて、引揚者は在外資産の全部を今ただちに支払えと要求しておるのではないのであります。
私はそれがはつきりした立場だと思うわけでありますけれども、そこへいわゆる御承知の二団体という特別な御意見をお持ちのかたがたがあつて従つて……引揚船の乗船というのに結局最後の回答では三団体の代表が乗るということになつておりますので、三団体の意見が合わなければ引揚船が結局出ないということになる。
従つて引揚船は、単に中共地区におる日本の国民を引揚げるという人道的な目的にだけ使うという了解の下に、これに対して妨害をしないという保障をくれたのでありまして、従つて今度の、国内にある中国人を向うに帰すということについてこの引揚船を利用することには甚だしい異議があるのでございます。
先般の第十三国会におきまして、機構改革によつて引揚援護庁は内局に決定いたしたのであります。ときたまたま遺家族援護の事務が輻湊した。これを早急に処理するためには時期的に相応しくないから一カ年延期しようと、従つて昭和二十八年四月一日まで施行期日を延期いたしたのであります。
それによつて引揚の事務が、或いは引揚そのものが帰還そのものとも支障がありますようなことでも困りますので、その点よく打合せをいたしまして、支障のないようにいたしたいと思います。
せんだつて引揚代表の方が北京駅頭にお着きになりました場合にも、この鈴木一雄氏は歓迎のために駅頭で大いにやられたということを承つております。そういうふうにいたしまして、第八条違反をあえてなさいました方々の数は、私の記憶だけでも約三十名余りもあるのではないかと思うのであります。
従つて引揚そのものについては、条件だとか、交渉だとかいうことは余りないのではないか、又必要がないのじやないか、要するにもうもらつて来さえすればいいわけだ、まあそう考えております。併しながらそれはまあ私の一つの想像でありまして、つまりソ連からの引揚をみましたときのことから言つての想像でありますけれども、更にこれは先方の都合もありましよう。それを聞いた上で善処したいと、こう考えているわけであります。
我々としてはこれはほかのことと違いますからして、あらゆる困難を排除しても引揚の実行ということはしたいと考えておりますから、原則的には旅券を出すことに政府は反対であるとしましても、この問題についてそういうことが、旅券を出して人をやることによつて引揚が実行できるということなら、その原則をまげても引揚実行のほうに努力をすべきが当然であろうと考えております。